チベット仏教の音楽 炸裂の曼陀羅

『ミニマルミュージック好きの私の視点。』
低い、しゃがれた声で、荘厳に、神妙に、幾重にも重なる読経が、いわゆるベース音。この微細なウネリと、リズム感といった次元でない伸びかたが、デジタル機器には到底あらわせない怪しさを秘める。そもそもビートはない。

突然、耳つんざく鉦鼓の音。とんでもない低爆音の大笛。読経のときとの音量の差に半ば不快、半ば恍惚。金管のいかにも妖艶な響き、浮かぶ曼荼羅。
一頻りの炸裂の後、また読経。大鼓が加わりスどことなくリリングに。以後45分にわたってこればかりの繰り返し。

大人数で読経しているぶん、厚みがあり、かつよく抑制されているところが、日本の葬儀での和尚節との決定的な差異となる、深み、を創りだしている。心地よく自己の内に沈潜してゆける。それはミニマルテクノを聴いている時と寸分も違わない。そして、金物の爆音で一気にどこか遠くへ連れ去られる。これでミニテク的脳髄は破壊し去り、自己内には何も残らない。これぞまさに脱魂没我、というわけだ。辺境の音世界を侮るなかれ。



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